May 15, 2016 共に生きられる人と友達の違い

単純に楽しい時間を過ごす友達と、
共に生きている共同体感がある人たちの違いはなんだろうか。

個人的には、哲学的だったり未来志向的だったりした話題での対話を経験しているかどうかが大きい気がしている。

ここでは、話題についての知識よりも、対話の姿勢の方がより重要だと感じている。
ざっと以下のような姿勢があると思う。
・真剣に聴いて欲しい時、真剣に聴くことができる
・まず相手の意見を理解しようと努力できる
・自分の意見も話してくれるが強要はしない
・固執せず自分の意見や考えを変えられる余白がある

自分は基本対話は照れくさいので茶化したりネタにしたりしてしまうことが多いのだけれど、いつまでも対話ができる人間でありたいと思う。しかし年を取るたびに難易度の上昇を感じる。

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May 15, 2016 まっすぐな道でもひとりじゃない

孤独とか自殺といった重いテーマを扱えるようになりたいと思ってきたが、まだまだそんな器があるわけでもなく、ここ1年くらいはちょっとゆるふわにして「ひとりじゃないこと」「ひとりじゃなくすること」を日々の裏テーマにしている。

「おーい生きてるか」
「生きてるぞ」
「そうか」
たまにこのくらいのやりとりができて、同じ時間軸で生きてるんだなあ、というよろこびを実感できるだけでいいのかもしれない。

種田山頭火は「まっすぐな道でさみしい」と詠った。人生に例えると、生から死へと続く道の途上で、人それぞれ感じる寂しさがあるだろう。だけど、その寂しさを抱えているのはひとりじゃないんだ、そう思えるだけでいい気もしている。

ひとりじゃないぞ。
ぼくも生きてるぞ。
きみも生きてろよ。

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May 8, 2016 楽しくて嬉しくて走り出す

菊次郎の夏、という映画を見た。
とても良い映画だった。(以下ネタバレあり。)

あらすじはこうだ。

夏休み。浅草。親がおらず、どこへもいけない主人公の少年。周りの友達はみんな家族旅行などに出かけ、置いてけぼりをくう。そんな中、「他所で自分のために働いている」母親の住所を知る。住所は名古屋であった。少年は母親を訪ねに行くことを決意する。その道中に、菊次郎というやくざ者が同行することになる。菊次郎はいろんなハプニングをおこしながらも、二人はやがて母親の元にたどり着く。しかし、その母親には既に別の家庭があった。
落ち込む少年を、菊次郎と、道中で出会った大人たちが励まそうとする。一緒に遊び、楽しませる。少年にとって、忘れられない夏休みになる。少年は笑顔で、走りながら家路につく。

物語の冒頭は、このラストシーンからはじまる。
旅の道中で手に入れた、ヘンテコな服やバッグ、鈴などを身につけ、笑顔で走る少年。道中で出会った怖い出来事、野宿、変な経験、愉快な大人たち、夏の思い出。

特に、河原でおっちゃん達が、童心にかえり遊ぶシーンが、楽しすぎて面白すぎて。何もかも忘れて、遊ぶことに夢中になってる。そう思わせてくれるシーンだ。

夢中になって思いっきり遊んで、楽しすぎたら、きっと嬉しくて、走り出してしまうんだろう。きっと多くの人が、そんな感覚を味わったことがあって、きっと覚えてるかはわからないけど、その感覚を持っていることはとても大きな価値なんだろう。その価値は何かに換算したり交換したりできるものじゃないだろうけど、間違いなく宝物だろう。

ここ数ヶ月になってようやく2、3歳〜小学生くらいの子供たちと遊べるようになってきた。彼らと遊ぶときにぎこちなかった自分がいた。きっと彼ら彼女らに自分が受け入れられるか怯えているのだろうと思う。だけど、きっと彼ら彼女らは、素直だから、楽しい時は楽しいし、退屈な時は退屈だし、一緒に遊ぶんなら僕もそれでいいんだと思った。ただ単純に、楽しいと思うことを楽しいようにやればいいんだ、そうなんだろうきっと。

そして、受け入れてくれたら、共に楽しい時間が過ごせたら、
嬉しくて走り出して、どんなに楽しかったか、聴いてくれる人に聴いてもらうんだと思う。そんな風に僕も生きていけたらと思う。

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Apr 24, 2016 何をやっても誰かの役にはたつのだから、自分がやりたいことをしよう

ここ二週間、九州をバイクで周りながら、今後どういう生き方をしていこうか、どう生きるべきかを考えていた。
結局行き着いたのは、「好きなことをしよう」というシンプルな答えだった。

小説「海賊と呼ばれた男」で、日本の戦後復興と経済発展に尽力してきた主人公が、人生を振り返り社会を見て自分のしてきたことが本当に正しかったのか疑問を持つシーンがある。物質的豊かさを享受し、それがゆえに渇きのような欲求を持たず、どこか生きる力が減衰したように見える若者。石油を湯水のように使い、気候変動などの様々な「次の問題」を生み出した社会。結果的に問題が変化しただけで、自分のやってきたことは正しかったのか、という問いかけを投げかけるシーン。確かそんな感じだったと思う。

海士町では挑戦する自治体として各種メディアで取り上げられたり、バブルともいえる状態が続いていたし、今後そんなバブルは加速するようにも思える。地方創生は進むだろうし、新しい建物はたつし、どんどん人も来る。島としてはいいことなのだろうが、そんな中、僕の好きだったある場所は見る影もなく残念なものになってしまった。

自分のしている仕事が、ただ人を利用しうわべを語り金をもらう卑しい仕事のように思え、仕事ができなくなった事がある。

海士町の福祉施設でバイトしてる時に読んだ、幸福をテーマに扱った本によると、例えば腕がなくなったり、宝くじか何かにあたって経済的豊かさを享受したりしても、短期的にはその人の幸福度は増減するが、やがてその状態になれ、変化が起こる前とそれほど変わらない幸福度になるらしい。

上記のようなことがあり、「全てのことには作用と反作用があるから極論何もしない方が誰も傷つけずに済むんじゃないか」といったことを長い間考えていた。社会変革に熱意を持ってる人は結局その人のニーズを自身だけで賄えないから社会を作り変えて(その結果起きた負の変化には目をつむり)満足してるだけのエゴイストだよな、と思っていた。今でもそう思う自分がいる。

結局それも一つのものの見方で、真実なのだろう。
だけど違った側面から見ることもできるんだと気づいた。

社会の大きな仕組み、生態系の中で、それぞれが大小の部品として生きている。善悪や効率性美醜などの概念を横に置いておけば、ぱっと見何のためかわからない部品でも大なり小なりきっと何かの役に立っている。

引きこもりでもその自治体にいるから地方交付税がおりる。
嫌われがちな新聞やNHKの集金人だってアナログに集金する手段として会社にとっては大切だ。
政治と経済の癒着があるからこそ仕事がもらえ生きていける人がいる。
ホストクラブやキャバクラ、ぼったくりバーなどがあるから日本の煌びやかなネオン街が生まれ、結果攻殻機動隊のような世界中から認められる作品が生まれることにつながる(かもしれない)。
様々な問題の引き金となった産業革命により、生きられなかった命が生きられるようになった。多死から少死になった。
行きすぎた経済により貧困格差が生まれているが社会保障の源泉は経済活動が膨れ上がったおかげかもしれない。
人工知能は今後更に多くの人の職場を奪うだろうが、同時に人類のさらなる飛躍には不可欠だろうし、人類の夢でもある。

皆何かを犠牲にし、何かのためになっている。

では、何をやっても誰かの役には立っているとするならば、どうしようか。幸福の最大化とか、大切な人を笑顔にとか、自分の価値の最大化とか、誰かにしわ寄せのいかない社会をとか、色々あるだろう。しかし結局は「自分のやりたいことをする」ってことなんだろう。自分にとって心地よい社会、生態系を作れるよう努力する。それだけだ。

では、僕のいまやりたいことは何だろうか。
DJをすること。国つくること。アウトドアをもっと日常に。
芸術すること。仲間と笑って楽しくプロジェクトまわすこと。
別にそんなことしなくても僕たちには価値があるし(その価値は自分たちで存在していると思っているだけだけど)、
そんなことしなくても十分に幸せになれるんだけど、その前提の上でそれでもなおそれをただやりたいからやるんだろうと思う。

アクセルをふかしながら、かつてのネスカフェのCMソングを口ずさんでいた。
「あなたが思うよりも世界はもっと素敵よ」
見方一つで、世界は汚泥に包まれうるし七色にも輝き出す。

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Jan 23, 2016 矢面に立つ、ということ

「三十にして立つ」人が、どこに立っているか。矢面に立っているのかもしれない。

これまで、批判されるのは会社だった事が多い。
だから、そんなとき、僕たちも会社を責めることができた。

「僕もその批判は真っ当で、もっとこうしたらいいと思うのだけれど、会社はそうしないからしょうがない」

矢から身を守るは会社という盾だったのだ。

独立するということは、その盾を手放す、ということだ。
厳密にはまだ手放せきれていないのだけれど。

今後、批判や非難の矢は、自らの体に刺さることになる。
「傷ついてなんかない」と平然とした顔を努めて浮かべながら、血を流しながら進んでいくことになるのだろう。

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Jan 22, 2016 ミニマルよりも、アウトドア

いつでも、どこへでも行ける人になりたいと、幼少期から思っていた。

いつしか、雑多なモノ(しかも、多くの場合不要な)に囲まれて生活していた。

4月からの自転車旅行に備え、最近はモノを減らしはじめた。
そのついでに、最小限のもので暮らす「ミニマリスト」についての本を読んだりしはじめた。

結果、僕が目にしたミニマリスト達には、殆ど憧れを持たないことに気づいた。

理念は共感できる。
最小限のもので、ノイズを少なく暮らす。

だけど、どこか線が細く、儚く脆い印象を受ける。
都市生態系でしか生きていけなそうなイメージ。
僕が目指すのはこれではない。

バックパック一つで、いつだって出かけてしまい、
どこでだって生きていけるような逞しさ。
僕が欲しいのはそれだった。
それはどちらかというと、アウトドア、という言葉だろう。

とりあえず、必要と思える道具を買った。
のこぎりと鉈と組み立て式ストーブで、行く先々で枝を拾い、
自炊に挑戦することを夢見ている。

課題は燃料の安定した調達だ。
嵐が去った後、枝を拾い集めて燃やしてみたが、湿気ていて燃えなかった。
・・・どうしようか。

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Jan 22, 2016 あらしのあさに

粉雪を撒き散らしながら、島に嵐がきた。

僕はその夜、ワインを飲み、酔いにまかせて眠っていた。

翌日、朝4時に目が覚めた。その後は風もうるさく、眠れなかった。

6時過ぎ、部屋の片隅に飾ってある、ベルギーで買ってきたマグリットの絵のポスターを眺めていた。

だんだん窓の外が明るくなってきた。絵が刻々と変わる。
うつくしいと思った。見とれていた。

ちょっとした奇跡とか、新しい出来事は、きっと気がつかないうちに、いたるところであらわれている。

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Jan 21, 2016 自力で生きていく

書類とか、手続きというものが苦手だ。

まず、それらは多くの場合、紙という形式でやってくる。

僕は紙というものが苦手だ。無くすからだ。どこにやったかわからなくなる。そんなどこにあるかもわからないものを、探し続けなければならない。僕の人生はそんな為にあるんじゃない、なんて思いながら、それでも探す。殆どのケースでは電話して再発行をお願いする。僕に書類を送った方も災難だろう。ごめんなさい。

その書類も、決められた形で、決められた通り、記入しなくてはならない。たとえば、電話番号の記入欄がこうなっていたとする。
( )
このカッコに入るのは、市外局番だろうか、それとも、それに続く番号なのか。それを間違えたら、これまで書類記入に費やした僕の労力はどうなるのだろうか。

「印」に押すべきハンコは実印だろうか。そもそも僕の実印って認印とごっちゃになっていてどれかわからない。どれだ。

決められた時間に提出しなくてはならない(土日祝日は空いていない)。平日、調整して来たのに、これに失敗したらまた日程調整が必要だ。なぜみんな平然とそんな難しいことができるのだろう。もうだめだ・・・と、大袈裟に言うのならば、こんな感じになってしまう。

新卒では当時2000人ほどが働く、大企業に入社した。
もちろん人事、総務、経理という部署があり、僕は年末調整やらなんやら、よくわからない処理をよくわからないままでいられた。
そういえばあそこは、今は何人になったんだろう・・・3000人くらいにはなったのだろうか。

転職して、海士町に来た。社員数は〜10人。
今度は総務経理を担当して下さる方とすぐそこの距離にいて、
なにやらお金があわないとか規定をどうするとか、そんな大変そうな様子を目の前にしていた。経理の仕事の一部を社員みんなで回すこともあったし、会計ソフトも触ってみたりした。分からないことだらけだった。

独立し、契約書なるものをグーグル先生に教わりながら作り、
今は税務署や県に提出する資料や、白色申告などについて調べている。よくわからないし、苦手意識は払拭できないのだけれど、でも自分でやるしかない。きっとこれから待ち受ける本格的な独立を前にしたらそんな大変なことじゃないのだろうけど。

独立に向けて色々調べ出した時から、会社員って、やっぱり世の中的にかなり恵まれている立場なんだと思った。ややこしい手続きはいらず、有限責任で、給料は固定的に入り、税金やら年末調整やらの手続きもやってくれ、社会保険も会社が、決して少なくない金額を払ってくれる。もはや、(儲けが増えるわけでもないのに)何で辞めたんだろうなんてふと思うくらい恵まれていると思う。

もう、「知らない」「分からない」「できない」ではいられない。
仕事だけやってればいいわけじゃない。
社会の中で、社会の仕組みを理解して、一つひとつやっていかねばならない。

三十にして立つ。
僕の場合、意味は文字通り「一人立ち」だ。それはすなわち、自分が社会で生きるということの一部を、これまで会社に支えてもらっていた、ということだ。さらに言うと今までが這い這いをしていたオコチャマってことなんだろう。できることから、少しずつやっていこうと思う。

ちなみに、別に、会社員が甘えている、ということを言いたいわけじゃない。
文字通り鎬を削って、切磋琢磨しながらバリバリ働いている会社員の人たちを見ると、頭がさがる。シュッとしたスーツに身を包み、肩で風を切って歩くビジネスマン達に、憧れもあるし、かなわないと思っている。結局僕は、そんな生き方ができなかったのだから。

かなわないし、僕はその生態系の中でやっていけないのだから、違う生き方をしようと思っている。社会の仕組みを、今更だけど理解していきたい、それだけの話だ。

また、「ドイツなど、日本と比べて労働時間あたりの生産性が高い所はなぜ高いのか」という話題を最近よくする。ある大学の先生は、「オトナな人が多い」と言っていたそうだ。プロとして、働く時は働くし、だからこそ休みの権利はしっかり主張する。納得いかない仕組みはとことん議論するし、ダメならその会社を離れるだけだ。そういうことなんだろう。とするなら、日本はオトナじゃない人が多いってことだろうか。上と議論する文化がないのだろうか。

僕は独立してみたけれど、今後どうなるかわからない。ちゃんとドイツの人たちみたいに、仕事と対価や休暇等をイーブンに取り扱えるだろうか。自信は正直あまりないけれど、実験をしてみようと思う。

社長はよく「これは人生実験だ」という。
僕も人生実験だ。「人生は実験だ」ってことかもしれない。

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Jan 20, 2016 僕が旅に出る理由は、だいたい100個くらいあって

会社を辞めた。

今は個人事業主として、会社で残った仕事を片付けながら、
各所から来る相談にちょいちょい乗ったりしている。
ミステリーを中心に、本を読む時間も増えた。
綿密に織り込まれた伏線と、最後まで読めない展開、思わず登場人物の無事と成功を祈りたくなるような、魅力的で生き生きとしたキャラクター達。読み終えると、天井を仰ぎみて思わず「ふーっ」と息を吐いてしまう。久しぶりのよろこびだ。

「会社、何で辞めたの」「何するの」と聞いてくれる人がいる。
「とりあえずダイエット兼ねて、自転車漕いで色んなところ周りながらどこで何して生きていこうか考えたいと思っている」とその度に言う。理由になっているような、なっていないような。今なら「冬寒いから」と答えるかもしれない。家の中が寒い。四六時中、寝る時も、ダウンとレインコートを着て生活している。

社長からも、(直接ではないが暗に)退職の理由や、何をしていくか、説明を伝えるように言われている(気がする。気のせいかもしれない)。

僕が旅に出る理由は、くるりが歌うように「だいたい100個くらい」ある気がしている。自分でも明文化できていないのが現状だ。見方によっては売り言葉に買い言葉で辞めることになった気もする。やはりくるりが歌うように「ここじゃどうも息が詰まりそうになった」なんてこともあるかもしれない。でも、そんな閉塞感なんてものは、世界中どこにいってもついてくる気もする。

しばし、これからどこでどうしていきたいか、机上で整理する時間をもっていきたい。

そんなことよりも、伊坂幸太郎のゴールデンスランバーが、本当に面白かった。その面白さに感動した。映画で言うと、「ニューシネマパラダイス」を始めてみた時くらい、その世界に夢中になった。

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Oct 8, 2015 「死ぬ」の反対は「死なない」であり、「生きる」は「活きる」であること

町の人の声を聴きながら、景観計画の素案をつくる、という仕事を頂いている。景観とは何か、を考えながらこの一年ずっと過ごしてきた。

最近は、景観とは、主に人の営みが表出するものであり、人がどう生きてきたか、今後その地域の人がどう生きていきたいのか、が見えてくるものだと考えている。

例えば、崖をコンクリートで固めるのは、アレックス・カー氏が批判するように、景観的には宜しくないかもしれない。しかし、住んでいる人からすると、土砂崩れが防げ、便利、安心であるかもしれない。工事すべきかそのままとすべきか。何か事故が起きた時に受け入れられるのだろうか。その土地で、人がどう生きていくかが問われている。

景観について考えたり勉強したりしていく上で、藻谷浩介氏の対談集「しなやかな日本列島のつくりかた」に出会った。首都大学東京准教授の山下祐介氏が、次のように語る。

「たとえば津波災害の被災地では、巨大防波堤の建設と高台移転が計画されています。どちらももちろん、当初の目的は、そこに住む人の命を守ることです。でも、たとえばそこに住む人が、巨大防波堤によって景観の大きく損なわれた故郷や、全く海の見えない山の中の団地に住むことになって、そのことで暮らしに意味を見出せなくなったとしたら、そこで生きることとはいったいなんなのでしょうか。人の命を守るために高台に移転させたのに、そのせいで、人の暮らしの意味が失われるという逆転が起きかねない。」

ここで、景観の話からは一旦飛ぶんだけれども、大きな気づきを受けた。これまで僕は、「死ぬ」の反対の言葉は「生きる」だと思っていたけれど、それは大きな間違いなんじゃないか、と。

生きていく為に、仕事をして、それでも感じるこの生きづらさは何だろう、と、常々思っていた。だけれど、「死ぬ」の反対の言葉は「生きる」ではなく「死なない」であり、「生きる」とは「活きる」であることだとしたら、どうだろう。これまで感じていた自分の気持ちに説明がつく気がした。

人類は、「死ぬ」こと、つまり自分の身を脅かす危険から逃れる為に、生存欲求を満たす為に、死なない為に、様々なものを生み出してきた。家や武器、農業。医療技術。村や国、というものも、死から少しでも遠ざかる為に出来た、と言えるかもしれない。

食べていく為に働く。家賃の為に働く。ベッドのために働く。保険の支払いのために働く。税金のために働く。これらは、死なない為に行っている行為と思える。

しかし、死なない為の活動をすることで、自分が「生きている」と
思えるだろうか。

生きている、と思えるのは、例えば、自分の存在に価値があると思えた時。自分が「活きている」と思えた時にある気がする。

だから、この防波堤の例のように、もしくは景観をとりまく様々な問題のように、または経済が発展したけれど生きづらさが蔓延するシンガポールや日本のように。「死なない」が為の行動が過ぎて、「活きる」ことを阻害してやいないか、なんて思うのだ。

僕はたぶん人一倍死にたくない願望が強いんだけど、でも死なないだけの道があるんなら、そんな道はつまらないなあ、と思った。「死ぬ」の反対語が「生きる」であった時に、その気持ちはどうにも説明がつかなかった。「死ぬ」の反対は「死なない」で、「生きる」は「活きる」であると思った時に、それはその道が僕が死なない道ではあるのかもしれないけれど、僕を活かしてくれる道ではないんだったとしたら、納得がいきすっきりした気分になった。

でも「活きる」道を選ぶことは、「死なない」道よりもいっそう死に近づくことで、僕にはとても勇気がいること。
せまる分岐点を迎えるにつれ恐ろしく思う気持ちが止まらない僕には、景観の仕事でも「活きなさい、そして死になさい」なんて言えはしないし、「死にたくない」という気持ちは当然なんだろう。

秋は思いあぐねるのに良い季節だ。
夜は更けていく。

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