Jan 21, 2016 自力で生きていく

書類とか、手続きというものが苦手だ。

まず、それらは多くの場合、紙という形式でやってくる。

僕は紙というものが苦手だ。無くすからだ。どこにやったかわからなくなる。そんなどこにあるかもわからないものを、探し続けなければならない。僕の人生はそんな為にあるんじゃない、なんて思いながら、それでも探す。殆どのケースでは電話して再発行をお願いする。僕に書類を送った方も災難だろう。ごめんなさい。

その書類も、決められた形で、決められた通り、記入しなくてはならない。たとえば、電話番号の記入欄がこうなっていたとする。
( )
このカッコに入るのは、市外局番だろうか、それとも、それに続く番号なのか。それを間違えたら、これまで書類記入に費やした僕の労力はどうなるのだろうか。

「印」に押すべきハンコは実印だろうか。そもそも僕の実印って認印とごっちゃになっていてどれかわからない。どれだ。

決められた時間に提出しなくてはならない(土日祝日は空いていない)。平日、調整して来たのに、これに失敗したらまた日程調整が必要だ。なぜみんな平然とそんな難しいことができるのだろう。もうだめだ・・・と、大袈裟に言うのならば、こんな感じになってしまう。

新卒では当時2000人ほどが働く、大企業に入社した。
もちろん人事、総務、経理という部署があり、僕は年末調整やらなんやら、よくわからない処理をよくわからないままでいられた。
そういえばあそこは、今は何人になったんだろう・・・3000人くらいにはなったのだろうか。

転職して、海士町に来た。社員数は〜10人。
今度は総務経理を担当して下さる方とすぐそこの距離にいて、
なにやらお金があわないとか規定をどうするとか、そんな大変そうな様子を目の前にしていた。経理の仕事の一部を社員みんなで回すこともあったし、会計ソフトも触ってみたりした。分からないことだらけだった。

独立し、契約書なるものをグーグル先生に教わりながら作り、
今は税務署や県に提出する資料や、白色申告などについて調べている。よくわからないし、苦手意識は払拭できないのだけれど、でも自分でやるしかない。きっとこれから待ち受ける本格的な独立を前にしたらそんな大変なことじゃないのだろうけど。

独立に向けて色々調べ出した時から、会社員って、やっぱり世の中的にかなり恵まれている立場なんだと思った。ややこしい手続きはいらず、有限責任で、給料は固定的に入り、税金やら年末調整やらの手続きもやってくれ、社会保険も会社が、決して少なくない金額を払ってくれる。もはや、(儲けが増えるわけでもないのに)何で辞めたんだろうなんてふと思うくらい恵まれていると思う。

もう、「知らない」「分からない」「できない」ではいられない。
仕事だけやってればいいわけじゃない。
社会の中で、社会の仕組みを理解して、一つひとつやっていかねばならない。

三十にして立つ。
僕の場合、意味は文字通り「一人立ち」だ。それはすなわち、自分が社会で生きるということの一部を、これまで会社に支えてもらっていた、ということだ。さらに言うと今までが這い這いをしていたオコチャマってことなんだろう。できることから、少しずつやっていこうと思う。

ちなみに、別に、会社員が甘えている、ということを言いたいわけじゃない。
文字通り鎬を削って、切磋琢磨しながらバリバリ働いている会社員の人たちを見ると、頭がさがる。シュッとしたスーツに身を包み、肩で風を切って歩くビジネスマン達に、憧れもあるし、かなわないと思っている。結局僕は、そんな生き方ができなかったのだから。

かなわないし、僕はその生態系の中でやっていけないのだから、違う生き方をしようと思っている。社会の仕組みを、今更だけど理解していきたい、それだけの話だ。

また、「ドイツなど、日本と比べて労働時間あたりの生産性が高い所はなぜ高いのか」という話題を最近よくする。ある大学の先生は、「オトナな人が多い」と言っていたそうだ。プロとして、働く時は働くし、だからこそ休みの権利はしっかり主張する。納得いかない仕組みはとことん議論するし、ダメならその会社を離れるだけだ。そういうことなんだろう。とするなら、日本はオトナじゃない人が多いってことだろうか。上と議論する文化がないのだろうか。

僕は独立してみたけれど、今後どうなるかわからない。ちゃんとドイツの人たちみたいに、仕事と対価や休暇等をイーブンに取り扱えるだろうか。自信は正直あまりないけれど、実験をしてみようと思う。

社長はよく「これは人生実験だ」という。
僕も人生実験だ。「人生は実験だ」ってことかもしれない。

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Jan 20, 2016 僕が旅に出る理由は、だいたい100個くらいあって

会社を辞めた。

今は個人事業主として、会社で残った仕事を片付けながら、
各所から来る相談にちょいちょい乗ったりしている。
ミステリーを中心に、本を読む時間も増えた。
綿密に織り込まれた伏線と、最後まで読めない展開、思わず登場人物の無事と成功を祈りたくなるような、魅力的で生き生きとしたキャラクター達。読み終えると、天井を仰ぎみて思わず「ふーっ」と息を吐いてしまう。久しぶりのよろこびだ。

「会社、何で辞めたの」「何するの」と聞いてくれる人がいる。
「とりあえずダイエット兼ねて、自転車漕いで色んなところ周りながらどこで何して生きていこうか考えたいと思っている」とその度に言う。理由になっているような、なっていないような。今なら「冬寒いから」と答えるかもしれない。家の中が寒い。四六時中、寝る時も、ダウンとレインコートを着て生活している。

社長からも、(直接ではないが暗に)退職の理由や、何をしていくか、説明を伝えるように言われている(気がする。気のせいかもしれない)。

僕が旅に出る理由は、くるりが歌うように「だいたい100個くらい」ある気がしている。自分でも明文化できていないのが現状だ。見方によっては売り言葉に買い言葉で辞めることになった気もする。やはりくるりが歌うように「ここじゃどうも息が詰まりそうになった」なんてこともあるかもしれない。でも、そんな閉塞感なんてものは、世界中どこにいってもついてくる気もする。

しばし、これからどこでどうしていきたいか、机上で整理する時間をもっていきたい。

そんなことよりも、伊坂幸太郎のゴールデンスランバーが、本当に面白かった。その面白さに感動した。映画で言うと、「ニューシネマパラダイス」を始めてみた時くらい、その世界に夢中になった。

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Oct 8, 2015 「死ぬ」の反対は「死なない」であり、「生きる」は「活きる」であること

町の人の声を聴きながら、景観計画の素案をつくる、という仕事を頂いている。景観とは何か、を考えながらこの一年ずっと過ごしてきた。

最近は、景観とは、主に人の営みが表出するものであり、人がどう生きてきたか、今後その地域の人がどう生きていきたいのか、が見えてくるものだと考えている。

例えば、崖をコンクリートで固めるのは、アレックス・カー氏が批判するように、景観的には宜しくないかもしれない。しかし、住んでいる人からすると、土砂崩れが防げ、便利、安心であるかもしれない。工事すべきかそのままとすべきか。何か事故が起きた時に受け入れられるのだろうか。その土地で、人がどう生きていくかが問われている。

景観について考えたり勉強したりしていく上で、藻谷浩介氏の対談集「しなやかな日本列島のつくりかた」に出会った。首都大学東京准教授の山下祐介氏が、次のように語る。

「たとえば津波災害の被災地では、巨大防波堤の建設と高台移転が計画されています。どちらももちろん、当初の目的は、そこに住む人の命を守ることです。でも、たとえばそこに住む人が、巨大防波堤によって景観の大きく損なわれた故郷や、全く海の見えない山の中の団地に住むことになって、そのことで暮らしに意味を見出せなくなったとしたら、そこで生きることとはいったいなんなのでしょうか。人の命を守るために高台に移転させたのに、そのせいで、人の暮らしの意味が失われるという逆転が起きかねない。」

ここで、景観の話からは一旦飛ぶんだけれども、大きな気づきを受けた。これまで僕は、「死ぬ」の反対の言葉は「生きる」だと思っていたけれど、それは大きな間違いなんじゃないか、と。

生きていく為に、仕事をして、それでも感じるこの生きづらさは何だろう、と、常々思っていた。だけれど、「死ぬ」の反対の言葉は「生きる」ではなく「死なない」であり、「生きる」とは「活きる」であることだとしたら、どうだろう。これまで感じていた自分の気持ちに説明がつく気がした。

人類は、「死ぬ」こと、つまり自分の身を脅かす危険から逃れる為に、生存欲求を満たす為に、死なない為に、様々なものを生み出してきた。家や武器、農業。医療技術。村や国、というものも、死から少しでも遠ざかる為に出来た、と言えるかもしれない。

食べていく為に働く。家賃の為に働く。ベッドのために働く。保険の支払いのために働く。税金のために働く。これらは、死なない為に行っている行為と思える。

しかし、死なない為の活動をすることで、自分が「生きている」と
思えるだろうか。

生きている、と思えるのは、例えば、自分の存在に価値があると思えた時。自分が「活きている」と思えた時にある気がする。

だから、この防波堤の例のように、もしくは景観をとりまく様々な問題のように、または経済が発展したけれど生きづらさが蔓延するシンガポールや日本のように。「死なない」が為の行動が過ぎて、「活きる」ことを阻害してやいないか、なんて思うのだ。

僕はたぶん人一倍死にたくない願望が強いんだけど、でも死なないだけの道があるんなら、そんな道はつまらないなあ、と思った。「死ぬ」の反対語が「生きる」であった時に、その気持ちはどうにも説明がつかなかった。「死ぬ」の反対は「死なない」で、「生きる」は「活きる」であると思った時に、それはその道が僕が死なない道ではあるのかもしれないけれど、僕を活かしてくれる道ではないんだったとしたら、納得がいきすっきりした気分になった。

でも「活きる」道を選ぶことは、「死なない」道よりもいっそう死に近づくことで、僕にはとても勇気がいること。
せまる分岐点を迎えるにつれ恐ろしく思う気持ちが止まらない僕には、景観の仕事でも「活きなさい、そして死になさい」なんて言えはしないし、「死にたくない」という気持ちは当然なんだろう。

秋は思いあぐねるのに良い季節だ。
夜は更けていく。

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Oct 4, 2015 決断することは、こんなにも恐ろしいものなのか

そろそろ自分の道に対し、決断しなければいけない必要性を感じはじめている。
自分の将来に渡り、時間と頭脳と精神を捧げ続けます、という誓いを立てるくらいの、重要な決断を。
が、それが恐ろしい。
自分の人生を捧げる、ということに対して、恐ろしく思うのだ。

決断とは、他の全ての選択肢を断ち切り、その道を歩むと決めることである。例え行き着く先が崖だろうと茨の道だろうと行き止まりだろうと、進む、ということを決めることである。
どうしたらそんな心境になれるのだろうか。なんと恐ろしいことだと思わないか。

僕は三日に一回くらいは、夜寝付けなくなるくらいの
恐怖と焦燥感に駆られる時がある。
自分の「死」を想像して、そうなってしまうのだ。
こうして何か見たり、音を聴いたり。新しい刺激を受けて思索にふけったり、誰かと笑いあったり、くだらない事に憤ったり、悲しみや苦しさを味わう、そんなことが出来なくなってしまう。
待っているのは無の世界。いや、無、すら知覚できないのだろう。
僕にとって決断とは、僕の人生の余白を差し出し、死へ早送りすることと捉えているのかもしれない。
だから、決断を恐れるのだろう。

今思い返せば、僕はそれほど、自分の意思で、しっかり考えた
決断をしてこなかった。

高校二年の時に文系から理系へ転向し、環境のことを学ぼうと思った。自転車で行ける所まで西へ行こうと思い立ち、ひたすらペダルを漕いだ夏の日の夕方。清流のせせらぎと山々、灯がともる街を見て、「こんな原風景を守りたい」と思った。
これを僕は自分の人生の決断だと思ってきた。
しかしこれは、ひょっとしたら、自分の進路が見つかった、と思いたかったがための、単なる勢いだったのかもしれない。

大学の時に、半年間がっつりアルバイトをし金を貯め、
一年間休学し、世界一周旅行に出た。
これも僕は人生の決断だと思ってきた。
しかしこれは、たぶん、単純に楽しいもの、未知が待っているからであり、かつ、そんなに捧げるものがなかった。
「どの道を進んで良いかわからない」という決断が求められる状況ではなく、「ちょっと寄り道」くらいの感覚。
だから、決断ではない。

新卒の会社も正直「内定先の中で一番給料が良かったから」だし、
転職し海士町に来たのも「東京生活楽しいけどしんどいし離島とか面白そう」くらいの理由だ。決断といえば決断なのだろうけど、あまり意思の力のない決断だ。

今必要性を感じているのは、もっとより、意思をもった決断だ。
「心臓を捧げる」まではいかなくても、人生の残りをいくらかに切って、その一つを差し出すくらいは必要な決断だ。
更にいうと、行き先によっては、道すらないものかもしれない。
ただ荒野が広がり、行くあてもなく彷徨うようになるかもしれない。

その決断の時、人生の分岐点に近づくにあたり、びくびくして恐れ慄いてはもだえる日々をおくっている。

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Jan 6, 2014 難癖をつける大事さ

前職の社長の本をふと読み返してみて、
今いなかで働く上で大事にしたいことがあった。

それは、「難癖をつける」ということだ。
あえて反対意見を言うことだ。

いなかで一年間働きながら思ったのは、
狭い人間関係もあり、
反対意見を出すのに抵抗がある、ということ。
嫌われる可能性があることをできるだけ避け、
なあなあで済まそうとする自分がいた。

思い返してみると、それでは自分が
いなかにいる価値がないではないか。

ぼくは、より良いものは弁証法的なアプローチで
生まれると思っている。
正と反がぶつかり、合へと止揚されていく。
これこそが議論の価値である。

より良いものを生み出そうという気概があったり、
あるアイデアのヒントを磨きたいと思っていたりし、
相手との対話を行える関係があると思えば、
あえて反をぶつけていく、というのは、
合を探っていく為に良いプロセスのように思えるのだ。

だから海士町の皆さん、もしぼくが難癖つけてきたら、
どうかかまってあげてください。

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Apr 12, 2014 何もしなくても、存在しているだけで価値がある

ヴィクトール・フランクルを尊敬している。
彼は、人間が実現できる価値には、3つの価値がある、と語った。
「創造価値」「体験価値」「態度価値」の3つである。
詳細な説明は省くが、最近もう一つの価値があるのでは、と
考えている。
「存在価値」である。
その人の存在に価値がある、という考えだ。

***

例えば、こんな経験はないだろうか。
夜の闇の中、一人ただただ続く道を歩いている。
もちろん辺りには誰もいない。
心細くなりながらも、手に持った頼りないライトを照らしながら、
ゆるやかな、しかしどこまでも続く坂を登っていく。
峠を越え、見下ろすと、家々に灯りがともっている。
それだけで、暖かい気持ちになる。
有難い気持ちになる。

別に家にいる人たちは、夜の闇を彷徨っていた人に対し、
特に何も働きかけてはいない。
この先、一人道を歩いていた人と、家にいる人とが
出会うことはないだろう。
だけれども、彼にとっては、
何よりも有難い存在であろう。

***

上記はひょっとしたら極端な例かもしれない。
でも、誰かが存在するだけで有難い、と思えることは、
きっと誰にでも思うことがあると思うし、
その想いは人間にとって大切なものだと思う。

どんな時に存在価値を感じられるのか、MECEではないが、
整理してみた。

1.何か自分にとって有用な働きをしてくれる
(もしくはその可能性がある)場合

これが9割くらいを占めるものだと思う。
例えば、パートナーの関係を結んでいる部長だったり、いきつけの店の店員だったり、会社のお客様だったり、といったイメージだ。

仕事だったり、サービスだったり、笑顔や賞賛だったり、お金だったりをくれるから、その人は自分にとって価値があるし、
自分がそのような何か有用な働きを提供できていれば、
自分自身にも価値がある、と信じられる。

また、現在有用な働きを行っていなくても、
将来その可能性があれば、その人は価値がある。
例えば、まだまだ半人前の新入社員や、将来利用できるだろう人脈だ。

2.自分の自発的な行動や、望む変化への受益者となる場合

マズローでいう5段階目の「自己実現欲求」、
そして(真偽は不勉強の為わからないが)6段階目の「コミュニティの発展欲求」の受益者となる人の存在である。

上記の欲求の場合、自分は何も見返りを求めない。
受益者からのフィードバックが未来永劫おきなくても、
その人は満足するのである。

しかし、その欲求が満たされる為には、受益者の存在自体が
必要となる。
誰も存在しない世界でお釈迦様が仏教をいくら語ったところで、
お釈迦様の欲求が満たされることはないのだから。

3.ただ居てくれるだけで価値がある、と思える時

これは上記2番目よりも身近なものだと思う。

最初に挙げた例の、「家の中にいた人々」も、1のニュアンスも
あるかもしれないが、こちらのニュアンスの方が強い。
人間という存在が世の中で自分だけでない、ということが
わかっただけで価値があったのだから。

最近見なくなったがずっと好きだったアーティストや役者。
町を行きかう人々。
大事な親友や、家族、恋人、尊敬する人。
どれも、何もしてくれなくても、同じこの世界、この時間を
共有しているだけで価値がある。

僕は、この3つ目の価値を特に大切にしたいし、
ひょっとしたら自分自身が「居るだけで価値がある」なんて
思えていない人がいたら、そんなことはないと言ってあげたい。

***

僕が昔、「自分なんか無価値だ」と思っていて、
何の気力もなく生きていた時のことだ。
何も創造していないし、今後素敵な体験が待ち受けているとも思えない。人間として価値がある態度をしているとも思えなかった。

ある人に出会い、話した。自分の価値のなさを。

その人が言ってくれた。
「君は、何もしなくても、価値がある。
君は、それだけで素晴らしい存在だ。
存在しているだけで、価値があるんだ」

その言葉を聴いた時、
僕はこみ上げてくる想いを抑えるのに必死だった。
その人と別れ、帰り道、一人泣いた。嗚咽した。

それからは、どんなことがあっても生きていける気がした。
少なくとも、自分で人生を終わらせるようなことはしない、と
心から思えた。

***

もし部屋の片隅でうずくまって、
一人泣いている人がいるのなら、
僕の手が届くのであれば、言ってあげたい。

「君は存在しているだけで価値があるんだ」って。

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Feb 16, 2014 焚き火を見ながらポイの思い出話を、そして「火を育てる」ことを

焚き火が好きで、何を焼いて食べるわけでもないけど、
時々拾ってきた流木やもらってきた木を燃やし
ぼんやりと火を眺めている。

小さい火種から、小枝を燃やし、徐々に大きな木を焼べていく。
火を育てていく感覚が楽しい。

この感覚について、少し思い出しながら語りたいのは、
ポイ(簡単に言うと紐付き球 紐を持って回すジャグリングの一種)にはまっていき、今では僕の数少ない特技となった、
自分自身のエピソードだ。

+++

ポイとの最初の出会いは、大学時代にいった音楽フェスだった。
各自が思い思いに音楽を楽しむ光景。その中で、不思議な人たちを
見つけた。

その人たちは踊りながら、何かを振り回していた。
その人たちの周りに、鮮やかでカラフルなひらひらした何かが
飛び回っていた。

近づいてみると、ひらひら付きの球体に紐が通してあり、それを
回していたのだ。

その人たちの周りを、まるで魚が泳ぐように
ひらひらが舞う。
僕はその光景に心奪われた。
その人の半径2mは、自由でカラフルな空気で
満たされているようだった。

その後、友達からそれが「ポイ」というものであると
教えてもらった。
少し、やってみたいと思った。
火種がともったのだ。

その数ヶ月後、別のフェスで友達がポイを持ってきており、
遊びで借りて、我流で回したり、簡単な技をいくつか教えてもらったりした。

技ができるようになってくると楽しくなり、
自分でポイを買ったりした。
関わっていたキャンプサークルで「トーチサービス」という
火のついた松明(ポイより簡単)を回す
芸を教えてもらったのだけど、ポイの動作ともかなり似ていて、
この練習の時間が楽しくなっていった。

大学を休学し、世界一周旅行に出た時には、
ポイと松明を持って行った。
やはりまだ簡単な技がいくつかできるくらいで、しかも
殆ど我流なので技の名前もわからず、気の向くままに振り回す、
という方が正しかったと思う。

そんな状態だったけれども、
都会でも田舎でも、散歩しながらだったり、
バス待ちの時間だったり、暇な時間があれば、ポイを回した。

子供なんかは特に、「これ何?」と興味を持ってきて、
一緒に遊んだりした。
ヒッピーがよく集まるインドの村では、「こんな技があるぜ」と
現地の人や旅行者に教えてもらったりした。
自分より上手い人が回すのを見て、悔しい、もっと
上手くなりたい、なんて思ったりもした。
しばらく滞在させてもらったブラジルの農場では、
離れる前日に、松明を灯して踊り、皆に喜んでもらえたりした。

日本に帰ってきて、大学を卒業し、会社に入ってから、
余興の芸としてポイを回すことが多くなっていった。
部署の飲み会で、光るポイを回したり、
バーベキューで当時好きだった女の子に良い所見せようと、
はじめてのファイアーポイ(松明よりはるかに難しい)に挑戦
したりした。
どうやって楽しんでもらうか、どうやったら盛り上がるか、
自分なりに考えながら、楽しみながらやった。

海士に来てからも回す機会を結構頂いたりして、
イベント好き、楽しいもの好きな島の人たちに喜んでもらっている
(と思っている)。

+++
思い返してみると、ポイの思い出は、
楽しい思い出ばかりだ。
これを書いている今も、なんだかにやけてきてしまう。

本当によかったな、と思うのは、
ポイに興味を持った時点で、
ポイ教室だったり、ジャグリングサークルに入って
誰かから教わったりしようとしなかったこと。
トレーニングの日課としなかったこと。
自分のペースで、長い時間をかけて、
自分の身の丈、興味の火の大きさにあった行動をしてきたことだ。

だからこそ、飽きっぽい僕だけど、今も続いている。
興味の火はまだ燃えていて、少しずつ少しずつ、
大きくなってきている。

これが、最初から教わろうとしていたら、
一気に自分の中で「やらなければいけないこと」として
認識し、つらくなってしまっただろう。
燻っていて、本当は小枝を足さなければ火はそだたないのに、
大きな薪を入れてしまい、結果火が消えてしまうのと
同じ状態だっただろう。

勿論、少しずつ火を育てるので、
最初から火力MAXの人たちと比べたら、成長は遅い。
でも、無理なく、純粋に楽しいという思いだけでできる。
振り返ってみて後悔だったり嫌な思い出がないのも、
そのおかげだ。

+++

海士町でブラスバンドをやる話だったり、シェアハウス計画だったり、色んなテーブルゲームをして遊ぶ会だったりを始めている。
どれも僕にとっては思い入れがあり、
大事にしていきたい事だ。

だからこそ、焚き火の火を育てる感覚で、
少しずつ、少しずつ、育てていきたいと思っている。
時には火が小さくなってもいい。灰に火が灯っていれば、
また熾すことができる。

やりたくなくなったらやめてもいい。
やりたくなったらばやればいい。
本当に楽しいと思ったり、大事にしていきたいことだからこそ、
その自由度は、保っていたいと思う。

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